城跡








赤穂城跡(赤穂市)

 常陸の国笠間から入封し浅野家藩祖・長直が、慶安元年(1648)から13年の歳月を費やして完成させた近世の名城・赤穂城。

 築城が天下太平の時代だったために形状は天守閣を持たない海岸平城。甲州流軍学を修めた近藤正純設計による全国的にも貴重な城だった。残念ながら明治時代のはじめに石垣を残して取り壊されてしまったが、昭和30年に大手門、隅櫓、城壁の一部が、また平成8年4月には本丸公園に本丸門が復元され、かっての面影が偲ばれるようになった。さらに、現在二の丸、三の丸の復元整備もすすめられている。


国指定史跡感状山城跡(矢野町爪生・森)(相生市)

 建武3年(1336年)足利尊氏が京都から九州に落ち延びたとき、赤松円心は白旗城にあって新田義貞の追討軍を防いだ時、円心の子、則祐がこの城にこもって奪戦し、尊氏から感状を与えられたことによると伝えられている。


上月城跡(上月町)

 戦国大名の織田と毛利の攻防の地として、また尼子家再興に燃えた山中鹿之介の最後の地として知られている上月城。その起こりは近元元年(1336年)赤松氏の流れをくむ上月次郎景盛が大平山に砦を築き、後にニ代目盛忠がこの地に本拠を移したことに始まります。

利神城跡(佐用町)

 播磨の大守池田輝政の甥出羽守由之が慶長五年佐用郡二万三千石の領主となり、標高372mの山頂に5年の歳月をかけて築城したが、わずか数年を出でずして取りこわされた非運の城跡である。







近畿税理士会相生支部